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指導を通じて伝えたいこと
中高生だった頃の自分の勉強を振り返るといつも後悔の念を抱く。
私は中学、高校とそれなりに勉強してきた。
中学生の頃は、定期テスト前は12時間くらい勉強していたし、大学受験の夏は一日たりとも休むこと無くみっちり14時間は勉強した。
(ストップウォッチで勉強時間を計っていたので、実際は15時間くらい机に向かっていたと思う。)
ただ、その勉強を誇りに思うことは全くない。
当時の自分の勉強の仕方は、ひたすら演習と暗記。
「なぜそうなるのか」と本質を探ったり、教科書以上の範囲まで逸脱して知識を仕入れたり、といったことをほとんどして来なかった。
これは当時の自分の知的感受性が鈍かったこと、そして言語能力が弱かったことに起因する。
「できるようになる喜び」「結果が出る喜び」がモチベーションになっていた。
逆に言うと、それしかモチベーションが無かったとも言える。
翻って今の自分はどうかというと、勉強することが楽しくて仕方ない。
新しい発見、未知と既知が繋がる面白さ、脈々と受け継がれてきた知識を享受できた喜び。
そういうものを感じながら勉強している。
こういう変化が起きたのは、塾講師の仕事をしてきたおかげである。
学ぶ楽しさや学問への興味を少しでも感じてもらえるような授業構成を考え、それを言語化して生徒たちに伝えることを通じて、自分自身が楽しんで勉強できるようになった。
自身が学ぶ楽しさを知ることで、生徒たちに伝えられる楽しさの幅が広がった気がする。
1日14時間の勉強。確かに一定の意味はあると思う。
しかし当時の先生たちの中に、そんな狭く偏った勉強に陥っている自分を窘め、より楽しく身になる勉強の仕方を教えてくれる先生がいたとしたら、自分の勉強もより実のあるものになっていたと思う。
昔の自分と同じように、学生である小中学生は勉強=義務だと感じていることが多い。
何も考えずに丸暗記している子もたくさんいる。
そういう生徒は、昔の自分を見ているようで微笑ましい。
と同時に、何とかして当時の自分と同じような勉強をしないように、自身の体験を交えながら指導をしている。
彼らの知的感受性を呼び覚ます塾にしたい。