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講師が課題を出すときに考えていること
実際にあった間違った課題の出し方
さて今日は課題の出し方についてお話をします。
以前、学校の課題として
「間違えた問題の、問題と答えを20回書き」
「プリントを5回丸写し」
「似たようなパターンの問題を何百問と解く」
などの大量課題を生徒たちが持ってきました。
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はっきり申し上げましょう。
このような課題の出し方をするという事実のみで、指導者としての資質を疑わざるを得ません。
大量課題の問題点
なぜそう断言できるのか、説明しますね。
効果への疑問
まず第一にその回数をこなして、果たして「効果があるのか」という点です。
なぜ「20回」なのでしょうか。覚えられれば10回でも5回でも良いではないですか。
「覚える」ということに不慣れな小学生低学年ならば、ある程度の回数をこなさせることの意義も理解できます。
しかし、中高校生にその回数をこなさせることは本当に必要なのでしょうか?
私には、ただの「罰ゲーム」のように思えてなりません。
意欲の阻害
第二に、「大量課題は生徒たちの意欲を殺ぐ可能性が高い」という点です。
同じ言葉を20回繰り返し書くという単純作業を目の前にして、意欲を保てる生徒がどのくらいいるのでしょうか。
おそらくごく少数でしょう。
その教科を伸ばすのが先生の仕事だとすれば、その教科への意欲を高める(少なくとも意欲を殺がない)のも仕事の一つだと思うのです。
生徒のやる気が減退すれば、真逆の効果を生むことになりますね。
時間を奪う
第三に「課題を出すということはその難易度や多寡にかかわらず、生徒たちの貴重な時間(人生)の一部を使わせている」という点です。
昨今の生徒たちは、昔と比べてもかなり忙しいです。
だからこそ指導者は、できるだけ「効果の高い(と考えられる)、意欲の沸く、やる価値を見出せるような課題」を出そうと努める責任があると思うのです。
正直に白状すると、私も昔、指導においてある程度多くの課題を出していた時期があります。
しかし、かけた時間や労力にもかかわらず、生徒たちの学力や意欲の向上に寄与しない、それどころか誤った学習観を植え付け、意欲の減退に繋がることに気づき、以後、そのような課題の出し方をやめました。
いま振り返っても、当時の自分の指導は安易だったと反省しています。
課題を出すときに伝えていること
今は課題を出すときに、次のことを伝えます。
ある程度の納得感を生徒と共有した上で課題を出すことが大事だと思います。
生徒も必死にやるわけですから。
ちなみに、大量課題を出された当の生徒たちは
どうせやるなら、もっと意味のある勉強をしたい。
と言っていました。
至極まっとうな意見ですよね。
お行儀良く20個並んだ文字列と時間の浪費を余儀なくされる生徒の姿を見て、私も何とも残念な気持ちになりました。
過ぎたるは猶及ばざるが如し。
「生徒の納得なき大量課題」は百害あって一利なし、です。
学校であれ塾であれ、指導者はよく考えて課題を出すべきだと思います。