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何のために塾があるのか。
受験勉強、受験生生活、受験結果。
それらは確かにその子自身のものである。
しかし同時に、それらは保護者をはじめ、ご家族の方々のものでもある。
保護者の方々は、本人が日々安心して勉強に打ち込めるように、食事や睡眠に気を配る。
塾が行く時間に合わせて食事の用意をしたり、塾が終わる時間に合わせて迎えに行ったりと、自分の時間を受験生である我が子に合わせて日々の生活を送っていらっしゃることだろう。
それ以外にも気を配る場面は多いはずだ。
テレビの音を小さくしたり、一緒に勉強したり、本を読んだりすることもあるだろう。
受験に関する情報収集も時間と手間がかかるし、複数の高校に足を運ぶことになる。
模試の結果が良ければ本人とともに喜び、悪ければ不安に駆られてあれこれ迷うこともあるだろう。
経済的な負担も大きい。
塾代や模試代、問題集、検定料などの費用もなんやかんやでかさむ。
また、きょうだいにとっても色々と気を遣う場面はあるだろう。
そういう日々を過ごしてきた上での受験である。
ご家庭によると思うが、まさに家族で乗り越える「総力戦」だ。
こうして書いていると、塾が本人に対して出来ることは、本当にごく一部であると改めて痛感する。
塾講師である私は、日々の授業や生徒とのやりとりを通じて、少しでも学力が上がるように、少しでも合格可能性を上げられるように、少しでも勉強が楽しくなるように、少しでもモチベーションを上げられるように、少しでも危機感を持てるように、少しでも成長欲を刺激できるように、限られた時間の中で毎日ともに全力で受験という山に登っている。
それでも、塾ができること、背負えることはほんの一部だと思う。
受験はあくまでも本人と家族のものなのだ。
それでは何のために塾があるのか。
塾講師という存在があるのか。
目標が高ければ高いほど、現状との差異が大きければ大きいほど、受験生活は厳しいものになる。
「総力戦」でその厳しい山に立ち向かうときに、強力な助っ人の存在の有無は、成否を分ける大きな要素になり得る。
あるときは進むべき方向性を指し示し、またあるときは滑落者の多い難所をともに登っていく。
気持ちが弱っているときや迷っているときは自信を持って前向きに歩を進められるように激励し、頑張りすぎているときは休息のアドバイスをする。
毎年、山を登っている人間だからこそできる助言、トレーニングの仕方、知っている道、ペース配分、気持ちの整え方がある。
そういった経験知を活かしながら、トータルで受験生を支える指導者、伴走者、ナビゲーター、メンターの役割。
その全てが塾の役割だと私は思う。
毎年、受験が近づくと合格・不合格、色々な可能性が頭をよぎり、非常にしんどい。
もちろん上記のような役割があるからこそ、「合格」という喜びを家族と共有できるわけだが、受験前に楽観視できるような状況など、塾講師になってから一度たりとも無い。
「不合格」というものの大きさを常に考えながら、日々を過ごしている。
しかし、受験に携わる人間はこのしんどさを避けては通れない。
また、慣れてしまう訳にもいかない。
どんな結果も覚悟を持って受け止め、自塾の指導、自塾の在り方を見つめ直し、前を向いて研鑽していくしかない。
そんなことを考えながらも、結局自分ができることは、一日一日を精一杯に過ごすことだけだ。
「挑戦」が自分を成長させてくれたとあとから思えるように、必死で頑張るしかない。