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わからないことの追求
以前子供たちがが学校の数学ワークを解いていたときに
あとで不明点の解説をまとめて行います。どこが分からないか聞きますので、すぐに私に伝えられるように印をつけておいてください。
と指示を出した。
数時間後に
はい、それでは先ほど伝えておいたように、分からないところの解説を行います。どこが分からないか教えてください。
と伝えた。
すると、スラスラと何問か伝えてきた子は二人だけ。
あとの子たちはワークをパラパラめくりながら、まごまごしている。
・・・本当に分からないところは無いのかな。分からないところが無いということは、私がこのワークの中から適当に問題を選んで解いてもらっても、大丈夫ということですよね。計算ミスなどはあるにしても、やり方が分からないものは無い、ということですよね。(にっこり)
ここまで言ってから、ようやくぱらぱらと数人から手が挙がる。
結局、分からないところが8問出てきた。
なぜきみたちは分からないところを解決しようとしないのですか。一度解いて、解説を赤ペンで書き写して埋めたら終わりなのですか。それで解けるようになっているのですか。
机に向かって、黙々とそのような行動ばかりを繰り返していても、それは真面目な勉強姿勢ではありません。・・・分からないことを分かるようにするには根気が必要です。『面倒くさい』という気持ちになってしまう気持ちも分かる。でも、そこをぐっとこらえて、面倒くさいことにしっかりと取り組まないと勉強はできるようになりません。
分からないことを追求すること、調べること、質問することの大切さを伝えたあとに解説授業を行った。
円錐を床の上で転がす問題が出てきたので、コロコロ(床の上を転がすあれです。)を使って説明したり、先ほどの空気とはガラッと変えて、楽しく解説を行った。
ひと通りの解説が終わったあと、もう一度話をした。
自分で『なんでだろう?』と疑問に思って質問して、その上で理解した解説は、たんに授業で聞く解説よりも自分の身になるんじゃないかな。自分が興味を持って聴く話のほうが、やはり記憶に残ると思うよ。そういう意味でもどんどん質問してほしい。
全ての塾生が自分にとって必要な質問をできるよう、地道な働きかけをしていきたい。