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勉強の癖と性格と。
ある程度の期間、塾生たちを見ていると、「この癖をどうにか修正しない限り、必ず近い将来○○でつまずくだろう」というものが見えてくるときがある。
生徒によって本当に様々な癖がある。
今後の趨勢にそこまで影響が出なさそうな小さいことであれば、「いずれ少しずつ良くなっていくだろう。」とおおらかに構えていられる。
しかし、その子の勉強の癖の中で、今後の飛躍を妨げる主たる要因になっているものは、やはりどうしても克服してもらいたい。
先々、その子を待ち構えている勉強内容を想定すれば、苦戦することが目に見えている。
そのときになってから、その子の癖が原因となって色々な可能性が閉ざされないよう、どうしてもいまこの瞬間に真正面から向き合ってもらいたいのだ。
そして、上記のような勉強の癖は本人の性格と密接に関係していることが多い。
たとえば「粘り強く思考する」という行動をなかなかできない子は、考えている途中で
なんとなく、よく分かんないけどこんな感じでしょ、たぶん。
という風に当てずっぽうになってしまう。
当てずっぽうになるのはまだ良いのだが、その予想が合っているかどうかを考えたり確かめたりせずに、曖昧なまま適当に終わらせてしまう。
勉強の大部分でそういう行動が見られるところから察するに、おそらく勉強に限らず日頃の生活でも同じような状況が起きているのだろうと思われる。
本人の性格が、勉強の癖に大いに影響していると思う。
こういうことを指摘し、修正していく指導は、正直かなり精神的にきついものがある。
勉強と性格を完全に切り離せれば良いのだが、なかなかそうもいかない。
その子の良くない癖を指摘するときに、その子の考え方や性格についても指摘しなければならない場合もある。
このままではいけません。
あなたのやり方、考え方、取り組む姿勢を変えなさい。
ということを、かなり深いところまで突っ込んで指摘するときもある。
伝えられるほうはもちろんしんどいと思うが、伝えるほうもやはりしんどい。
その子の良い部分を言及するだけで指導できたらどんなにラクか、と思うときもある。
しかし、決して看過することはできない。
ここが頑張りどころだぞ。頑張ってその癖を直そう。
と、心の中で思いながら指導にあたる。
こういうとき、塾生たちは真剣な表情で話を聴いたり、苦笑いしたり、少し悲しそうな表情をしたりするわけだが、彼らが素晴らしいのは、ちゃんと話を聴く姿勢を持っているということだ。
もちろん、話を聴いていても同じようなことを私に何度も指摘されるわけだが、それでもふてくされたりすることなく、毎回話を聴く姿勢は崩さない。
彼らのそういう姿を見るたびに、塾生たちの人格の高さを感じる。
私が小中学生のときに、同じように指導をされて、果たしてちゃんと話を聞けるだろうかと考えると、自信がない。
塾生たちのそういうところも私は尊敬している。