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急いで解く ≠ 急いで読む
最近、自分で問題集を解いていて思うのが、「問題文をよく読むことほど難しいものは無い」ということだ。
たとえば数学の問題を解いていて、なかなか答えにたどり着かないことがある。
2,3分経過。
あれ?この辺の長さがこの値になるわけがない……。
おかしいな……。
さらに2,3分経過。ここでやっと問題文を見直す。(←遅い)
……条件、見間違えているやないかーい!(←山田ルイ53世風。)
こんなことが日常茶飯事(白目)。
もはや趣味、いや特技と言っても過言ではない。
「問題を読み、問題を解く」という経験を積んでいる私ですら、こういうことが起きているのだから、生徒たちの中で同様のことがもっと頻繁に起きていてもおかしくない。
実際、生徒たちの質問対応をしていると、「問題文をよく読む」ということがいかに難易度の高いことかを思い知る。
OK!質問ね。ふむふむ。じゃあ問題文を最初から読んでごらん。
……あ、解決しました。
こんなことがよくある。
「問題文をよく読む」とは、数学の場合、次のようなことを指すと考えている。
① 与えられた情報をもらさずに読み取る
② 問題作成者の意図(何を使わせたいか、テーマは何か。)を汲み取る
③ 先入観、思い込みによる勘違いをしないように読む
時間や集中力、注意力が不足していれば①が難しいし、知識や経験が不足していれば②が難しいし、知識や経験がある程度蓄えられると③が難しくなる。
そしてここが大事なのだが、上記のことを「制限時間内に」「決して油断せずに」「どんな状況でも」「連続で」実行することが求められる。
このように見ると、「問題文をよく読む」とは非常にハードなタスクであると言える。
「問題を解くこと」を「料理をつくること」にたとえると、「問題文を読む」という段階は「注文を聴くこと」にあたる。
いま、目の前にこういう材料があります。
こういう条件で、こういう料理をつくってください。
という注文を正確に聴き取らないといけない。
しかもお客さんがたくさんいて、バタバタした状態で聴き取らないといけないわけだから、当然のようにミスが出るだろう。
最近、生徒たちに次のように話している。
急いで解くことと急いで問題文を読むことは別です。問題文を読むときは、意図的にスピードを落とし、じっくりと一歩ずつ足元を踏み固めるように読みなさい。
問題を読むときは、じっくりとメモを取りながら落ち着いて読む。
そして、状況が確認できたら速やかに問題を解く。
そういうメリハリのついた時間のかけ方が大切だ。
もちろん、これを言うだけですんなりできるようになるわけではないと思うが、物事に取り組む際にどのようなイメージをもって取り組むかはとても重要だ。
注文を聴くときは、ゆったりとメモを取りながら落ち着いて聴く。
そして、状況を確認してから速やかに手早く料理に取りかかる。
そういうイメージを持って問題文を読むだけで、もったいないミス、余計なミスはだいぶ減らせるのではないだろうか。