塾名の由来(2)

個別指導塾を辞め、次に働かせてもらうことになった集団授業塾。誇張ではなく、本当に素晴らしい出会いがたくさんあった。まず自分よりも実力のある先生方とたくさん出会えた。研修などで新しい知識や教え方を学ばせていただき、自分の実力の無さを思い知らされた。しかし、この環境こそまさに自分が望んでいた環境。良きライバルにも恵まれ、楽しく働くことができた。

塾講師としての授業スキルを磨きつつ、教室運営についても一から学ばせてもらった。責任者は、自分の校舎のさまざまな運営、教務、広報活動、スタッフの指導、ありとあらゆる仕事ができないといけない。自分の得意分野、不得意分野も当然あったが、私はどちらかというとある程度何でもこなせるタイプだったかもしれない。(←器用貧乏とも言う。)色々な先輩の先生方に教えていただきながら、少しずつ自分の経験値を積んだ。

前職で感謝していることはたくさんあるが、その中でもとくに感謝していることは、塾生の人数が思うように集まらなかったときの上司、先輩講師の対応だった。普通(と言っても、他の塾がどうかは分からないが)、塾生の人数が集まらないとき、周りの反応は冷たいものだと思う。仮にノルマのようなものがあれば、それを達成できていない場合、きつく当たられるのが世の常なのではないか。しかしこのような辛い時期に、上司や先輩講師の方々はとても温かい言葉をかけてくださった。「大丈夫だから、今はキツいだろうけど、頑張れ。」と温かく見守ってくださった。こういう雰囲気だったからこそ、私も「もっと頑張ろう。」と思えたし、必要以上にプレッシャーを感じず、自分らしさを失わずに働くことができたと思う。このときのことは、今でも本当に感謝している。(続く)

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