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教科観の修正
勉強は「分からないと解けない」「理解できていないと答えが出ない」と思われがちだ。もちろんそのような場合もたくさんあると思うが、では「解けているから理解できている」と言えるかというと、そうとも限らない。「解けてはいるけれど、理解できていない」ということが頻繁に起こる。経験上、そういうことがもっとも起こりやすい教科が算数、数学だと思っている。
算数で、なんとなく式が立てられていて計算も合っている場合、「理解できている」と判断しがちだ。本人はもちろんのこと、それを見た人(保護者や指導者)もそのように判断してしまうことがある。しかし本当はそうとも限らない。「なんでこの式が出てくるのかな?」「この式のこの部分は何を表しているのかな?」と聞いてみると、全く答えられないなんてこともよくある。ここに算数の落とし穴がある。
中学生でも数学の途中式をなんとなく真似して、「それっぽい式、それっぽい答え」を書くことに終始してしまう子がいる。ただ単に表面だけをなぞって覚えているだけなので、すぐに解法が抜けていくし、応用も利かない。こういう子たちが不真面目な学習態度なのかというとそんなことはない。むしろ、真面目に取りくんでいる子がこのような勉強の仕方になっていることも多い。数学という教科に対して「解法や式を暗記して計算する教科」という認識を持ってしまっているのだと思われる。こういう「あまり良くない教科観」を修正する、上書きするのは非常に骨が折れる作業だ。
こういう教科観を自分の力で修正することは困難だし、修正しないまま練習を積んでも大きな成果は得られない。こういうところにも、生徒一人ひとりの勉強をしっかりと見ていくことの意義と必要性がある。