先生の呼称

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塾生たちが休み時間などに学校の先生の話をしているときがある。

その様子を横で聴いていると、たまに学校の先生をあだ名で呼んでいることがある。


相手の呼び方には、相手との距離感や関係性、その相手をどのように思っているかがあらわれる。

親しい相手にはその親しさが伝わる呼び方(たとえば呼び捨て、あだ名など)があるし、年長者に対しては敬意を払う呼び方というものがある。

先生をあだ名で呼ぶということは、見方によっては「親しみのある呼び方」とも受け取れるが、一方で上下関係をないがしろにしている呼び方とも受け取れる。


当然のことだが、「先生」と「生徒」は立場が異なる。

もちろん先生に対して親愛の感情を持つことは良いと思うが、「おともだち」のような感覚で接することはおかしい。

先生という存在は勉強をはじめ様々なことを教え、導いてくれる存在なのだ。


したがって、指導には「縦の関係」が必要だ。

指導する側もされる側も、「縦の関係」の中で色々なやりとりをする。

生徒からすれば、先生は自分より上の存在。

そういう存在に対して、しっかりと礼を尽くすことは大切なことだ。

「ななめの関係」であればまだ分かるが、完全なる「横の関係(=おともだち)」では指導は成り立たない。


もちろん先生も人間なのだから、なかには若くて頼りない先生、未熟な先生、理不尽なことを言う先生、色々な先生がいらっしゃると思う。

もしかしたら、あまり尊敬できないと思うような先生だっているかもしれない。

だからといって、そういう先生たちに対して礼を逸する言動を取るのは間違っている。

どんな先生であっても、最低限の礼はしっかりと尽くすべきだ。


また「あだ名で呼んでいるからと言って、相手を尊敬していないとは限らない」という言い分もあるかもしれない。

しかし、言葉が人に与える影響は大きい。

人は自分自身が使っている言葉からも大いに影響を受ける。

あだ名で呼んでいる先生に対して、本当に尊敬の意を持つことができるだろうか。

どこかで、先生のことを、先生の言葉を、指導を、軽く見ることに繋がらないだろうか。

私自身、言葉の持つ力の大きさ、怖さを幾度となく経験している。

だからこそ、生徒たちにも言葉に対して敏感に、丁寧に、慎重になってほしいと思っている。


堅苦しいと言われるかもしれない。

昔ながらの古くさい考えかもしれない。

周りの子はあだ名で呼んでいる、と思うかもしれない。

しかし塾生諸君には、相手に対する敬意を行動で示せる人であってほしいし、周りはどうあれ自分の意思で自分の行動を決定できる人であってほしい。

そして、同じように、こういう価値観を大切にしている人たちとの縁を結べるような人であってほしいと思う。


上記のようなことを大人たちが子どもたちに真っ直ぐに言えるように、尊敬できる先生、尊敬できる大人が少しでも増えることが必要だ。

もちろん、私も含めて。


この記事を書いた人

塾長
ふくなが

進学塾unitの塾長。数学・英語・理科担当。生徒と保護者、スタッフの笑顔を見るために日々邁進中。基本的にいつも機嫌が良く、無駄に元気。

趣味:将棋(将棋ウォーズ1級)、コーヒーを飲みながらカフェで数学、ダイエット 特技:リバウンド

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