「変えたい」と「変わりたい」のお話

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一般的に、塾は「生徒たちが学力を上げ、成績を上げ、合格や進学の可能性を広げる」ための場所である。


しかし、この前段階として「生徒たちが行動を変え、習慣を変え、意識や思考を変える」というプロセスが必要である。

後者なくして前者の達成は成し得ない。

だからこそ私たちは、生徒たちに「変わってもらいたい」と思っている。

授業の受け方、ノートの取り方、演習の仕方、勉強量、時間の使い方、勉強に対する価値観、ものの考え方、等々。

もちろん、いろいろなやり方、いろいろな考え方、色々な価値観があって良いと思う。

しかし、「学力を上げ、成績を上げ、合格や進学の可能性を広げる」という目的があるのであれば、しかもある一定期間のうちに達成したいとなれば、そのやり方や考え方はだいたい似たような方向に収束していくのが自然だと言える。


その子が持っている(積み重ねてきた)行動、習慣、意識や思考は、まさに千差万別である。

平日の放課後に3時間勉強するのが当たり前という子もいれば、テスト前しか勉強しない子もいるだろう。

自分の小さなミスを許せない子もいれば、まったく無頓着という子もいるだろう。

大人に明るく話しかけるのに慣れている子もいれば、なかなか自分から話しかけられない子もいるだろう。

当塾にはそういった色々な子たちが集まっている。

そして、その子たち一人ひとりが、昨日よりも少しだけ良い方向(自分が望んでいる方向)に向かって変わっていけるように、日々奮闘している。


先ほど「生徒たちが行動を変え、習慣を変え、意識や思考を変える」と書いた。

決して「(先生が)生徒たちの行動を変え、習慣を変え、意識や思考を変える」わけではない。

この二つは似ているようで、まるで異なるものである。

私たち指導者は真の意味において、生徒たちを変えることはできない。

本人が変わりたい、自分を変えたいと思ったときにはじめて変わることができると思う。

よって、私たちができるのは、生徒たちが変わるきっかけをつくることだけである。

その必要性を説いたり、変わったあとに見える景色の素晴らしさについて語ったり、ときに怠け心に活を入れたり、励ましたりすることだけである。

この違いを常々意識していないといけない。


私もこの仕事をそれなりに経験してきて、たくさんの失敗もしてきている。

にもかかわらず、ときどき「相手を変えることはできない」という真理をどうしても忘れてしまうときがある。

つまり「変えよう」と思ってしまう。

「変わってもらいたい」と思うこと、そしてそのために色々なアプローチを試みることは大切だし必要だと思うが、それがいつの間にか「(相手を)変えよう」にすり変わっていることがある。

私が未熟だからこそ起きることだと思うのだが、そういうことを何度も経験している。

もちろん、何かしらの権威や権限をもって、指示・命令すれば表面だけ変えることはできるだろう。

しかし、それだけで、事がうまく運んだ試しがない。


まずは、相手をよく観る。

相手とコミュニケーションをとる。

相手が真に望んでいることはなにか、相手の考えや感覚を理解する。

そして、それをいったん受け止める。

そのうえで、ではどういう方向でやっていこうか、自分には何ができるだろうかと、本人と一緒に考えていくことが必要である。

挨拶も、親切も、そして変わることも、「まず自分から」である。

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