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●●が鈍い人は塾講師に向いていない。
ある生徒と話をしていて、興味深く思ったことがあるので、今日はそのお話を。
感情が音に現れる
この生徒は小さい頃からピアノを習っていて、一生懸命に練習してきた(もちろん直接見たわけではなく私が何度かお話を聞いた上での推測だけれど、何にでも一生懸命に取り組む子なので、きっとピアノも頑張ってきたに違いない)。
この子と話しているときに、「ピアノを弾いているときの感情や心の状態がピアノの音に表れる」という話が出てきた。
たとえば、怒っているときには怒っている感情が、なんとなく楽しい気持ちのときにはその楽しい感情がピアノの音に表れる(反映される)と言うのだ。
レッスンをしてくれるピアノの先生やお母さんはそういう音の違い(音に含まれる感情、心理状態の差異)を聴きとれるらしい。
弾いている本人も、自分のピアノの音を聴くことで自分の感情を把握できることがあるそうだ。
このような現象は、ピアノをある程度弾いている人たちにとっては「当たり前」の現象なのだろうか。
素人の私にとっては、感情を演奏に乗せることも、演奏に乗った感情を感じ取ることも、どちらも途轍もない神業に見える。
研ぎ澄まされる神経
また、この子は習字を習っているのだが、字を書いているときも、たまに習字の世界に没頭する瞬間があるそうだ。
どうやら話を聞いていると、そのようなときには頭の中が目の前の字のことだけで満たされ、集中力が普段以上に高まり、神経が研ぎ澄まされているような感覚になるようだ。
超一流のトップアスリートの中には、時の流れがスローモーションに感じたり、自分自身を斜め上から俯瞰するといったいわゆる「ゾーン」という状態を経験する人がいる。
もしかすると、この子もそのような世界に近いものを感じ取りながら、ピアノを弾いたり字を書いたりしている瞬間があるのかもしれない。
そう考えると、とてもすごいことだと思う。
どのような分野でも、ある程度の修練を積むことで、技術とか理論とは別の「感性の世界」があるのかもしれない。
塾講師に必要な感性の鋭さ
さて、やっと本題。
技術や理論とは別の「感性の世界」があるとしたら、それは授業、生徒への学習指導にもあると思う。
実力のある先生方はその指導技術や知識の奥行き、広さもさることながら、感性の鋭さも持ち合わせていると思う。
感性の鋭さとは、
などなど、さまざまだ。
自分は、そのような感性を持ち合わせているか。
日々磨けているか、ということについて改めて考えた。
まず、このような感性は、塾講師という仕事に絶対に欠かせないものだと思う。
というより、相手や自分に対して感性の鈍い先生は、この仕事に向いていないと私は思っている(たとえば、目の前に眠そうにしている生徒の表情があるにもかかわらず、それに対して何も感じない、何も改善をしようとしない、というのは、その人の感性がそういう感性だからである)。
しかし、自分の感性が鋭いかどうか、歪になっていないかということは、なかなか自分で判断するのは難しいことだと思う。
だからこそ常に自分自身の行動や対応を振り返り、自分の感性を客観視し、変な方向に向いていないかどうかを常に確認する必要がある。
また鋭い感性を持つためには、日々、指導技術について研究し、自分の指導について工夫・改善を積み重ねること、高い意識を持って地道な修練を重ねることが大切だと考える。
だからこそ、地道なこと(授業準備や教室内の美化といった当たり前のこと)に手を抜かずに、日々過ごしたいと思っている。
優れたピアニストやアーティストやアスリートたちが人を感動させることがあるように、私も塾講師として、見る人を感動させることができるような領域まで達してみたい。
この記事を書いた人
進学塾unitの塾長。数学・英語・理科担当。生徒と保護者、スタッフの笑顔を見るために日々邁進中。基本的にいつも機嫌が良く、無駄に元気。
趣味:将棋(将棋ウォーズ1級)、コーヒーを飲みながらカフェで数学、ダイエット 特技:リバウンド
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Twitterはこちら R_makes_rb
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